☆躁鬱女の日記☆

思ったことをただ書いている。躁鬱って厄介だー。日本語が不自由なので、意味わからなかったら、ごめんなさい。不快に感じる内容や言葉があるかも知れません。御容赦下さい。

元旦那に感謝

元旦那様。

躁鬱の私と一緒になってくれてありがとう。

男の人が結婚をするって
どれだけの決意だったか、覚悟だったか
離婚してから知りました。

私はワガママ勝手でした。
離婚してから解りました。


元旦那と一緒に過ごした日々。
楽しかった。
心から楽しかった。


結婚したら離婚することを
私は目的としていたかもしれない。


子供の頃から
「離婚する」と何度も騒ぎ立てた母。

結婚と離婚は私の中でセットだったのかもしれない。

思い返せば、母のように振舞っていた。
大嫌いな母の様な私だった。


元旦那に謝りたい。ごめんなさい。
本当にごめんなさい。

一緒に過ごした日々は
本当に本当に楽しかった。
沢山の楽しい日々をありがとう。


少し解離している私は
今より過去の方が鮮明に感じるよ。


ありがとう。ありがとう。
こんな私を支え続けてくれて
ありがとう。

毒親の影響は解けない呪いみたいだね

うちの母親の夢は離婚することだったらしい。

母は私の夢を代わりに叶えてくれてありがとうと仰っていた笑
夢を叶えてあげたんだ。感謝しろよ母親。



うちは、父親は働くことに熱心で
家にいなかった。
母親は、常に父親か、その場にいない家族の
悪口を言っていた。

私は、間違った事をして母親に怒られたことがない。

ただ、
私の目つきが悪い、とか、なんだその言い方は!?
とかで
よくヒステリーを起こして怒り狂ってはいた。

3歳位の時から小学校中学年くらいまでだ。


大人になってから母が言っていたが、
私が泣いて許しを乞う姿が可愛くて泣かせていたという。

子供を泣かせて楽しい親っているんだね!


そんな親だったので、いつも顔色を伺って
ヒステリー起こさないように気を使っていた。

そんな私は、人の顔色を今でも伺っている。

37歳の大人になっても
子供の時のことを引きずっている。

他人の機嫌を悪くしないように
相手を伺っている。

こんなの疲れたよ。



離婚したてなので、かなりメンタル不安定。

躁鬱女は離婚した

お金も何も無く、計画も何も無く
離婚した。

旦那はいい人だった。
この上なくいい人だった。


なぜ離婚したのか。

好きな人が出来たから。



友人に、
旦那が可哀想だから離婚しなって言われて

それで、離婚した。



好きな人は、
かなり年下で、経済力もないので頼れない。

仕事が見つかるまでの間
というか、
私が社会復帰できるまでの間

生活保護にお世話になることになった。


生活保護を受けるのはしんどい。
受けなきゃ生きてけないけど
精神的にしんどい。

生活保護なんて楽でいいじゃん、て思った人がいたら
私の躁鬱病適応障害パニック障害
喘息とアレルギーと
全部あげますね。今すぐあげます。
いらなくても送ります。
そして、働けるあなたの体力を私がもらいます。


精神病のときに、
大きな行動を起こさないことって
大切だなと身をもって知った。


結婚も大きなイベントだった。

あの時、するタイミングではなかったと思う。
治療に専念するべきだった。


私は自分と向き合って来なかった。
大きな選択の時は特に。

というより、向き合えなかったのかな。

受験も就職も避けてきた。

結婚は流されるまま。
離婚も流されるまま。


さすがにこのままではいけないと思った。


ちゃんと自分の幸せを考えてあげたい。
さすがに、
もう、自分の幸せを考えて行動してあげたい。

そうしないと自分が可哀想。


幸せになりたい。
幸せ考えたい。
幸せを作れる行動をしたい。



こんな私が生きてて申し訳ないと
泣いて、自殺未遂繰り返しても
誰も得しない。


目標は、2年かけて
社会復帰を目指す。

寂しさの暴走

さみしい。
とにかく寂しい。

なぜだろう。寂しい。

寂しくて、旦那以外の男と寝てしまった。

家出した時以来です。

体だけの関係って虚しいね。

そして、旦那への罪悪感から発狂。

落ち着いたけど喉がガラガラ。

苦しいよ。さみしいよ。かなしいよ。

どうしたらいいのか、わからない。。。

躁鬱は厄介

こんにちわ。
今日は平成30年3月1日です。

年始に派遣の仕事決まって、しかも環境も時給も
いい職場で
「バンザーイ!社会復帰!」と浮かれていました。

浮かれていたのですが…、
2週間たって月曜日の朝。
…からだが動かないm(。≧Д≦。)m
オーマイガー!!

そこからポツリポツリ、起き上がれない日があって
欠勤する日が続きました。

「派遣先から、もう来なくていいって言われましたよ」と
派遣会社の担当から話がありました。



なんだってぇぇぇぇぇ!!!!


まぁ、欠勤多かったら当たり前か。
クビである。悲しい。

余談だが、身体障害者の人に
「精神病ってさ、見た目にはわかんないし、突然さ休まれるとイラッとするよね」とかも
言われました。
同じく障害者でも、全く理解してもらえないんだなぁなんて思ったのでした。



あー、せっかく社会復帰できると思ったのに
ダメなのか。。。

凹んだ。相当凹んだ。

早く社会復帰したい!
なのに…体も心もついていかない。
せつない。


他の躁鬱の人はどうやって生活してるのかな?
寛解してる人は、どうやったんだろう。

教えてほしい。


みんな辛いことはあるけどね。


過去出来たことが、全くできない現実。
受け入れなければならないのに、
受け入れたくない。


軽く躁になれば、治ったと勘違いするし…。


もうね、37歳になりました。

数字を見たらオバサンだなーっ、て強く感じる。


さっきまで10代、20代だったのにな。
…若さを失う切なさ。



乱文ですみません。

躁鬱って気分障害。気分なんだよなぁ。

もう年末ですね。2017年も終わります。

厄年でしたが、とてもいい年でした。

躁鬱が治らないって、何回聞いても
きっと治ると思ってしまう。

他人よりも感情の振れ幅が大きいだけだから
きっとコントロールできるようになるんじゃないかなって思う。

最近、地下アイドルにハマって
すこし躁状態です。

躁状態って、軽々うごけるし
考え方も前向きになるからすごく調子よく感じる。

ずっと前向きな軽躁状態ならいいのにな。


最近、斎藤一人さんのテープ聞いてて
参考になることが沢山あって嬉しい。

「はじめに言葉ありき」って仰ってて
すごく納得した。

私の場合
最初は何気ない「めんどくさい」から始まって
「死にたい」が口癖になって
どんどん不幸なことしか考えられなくなったから。

誰の言葉かは忘れたけれど
「人生は言葉の質と量で決まる」これも
あーーー!そうコレコレ!ってなったの。

自分にマイナスの言葉を浴びせ続けたら
やる気も元気もなくなった人生になった。

魔法があればいいなって思ったことあるけれど
最近は、言葉が魔法だと本気で思っている。

言葉で、人生は良くも悪くもなる。

最初は大した症状じゃなかったのに
悪い言葉を使い続けてたら、症状ひどくなってったから、本当だと思う。

小さい出来事に「これは無駄」って言ってたら
そのうち「人生は無駄。生きてることは無駄」ってなって気力ゼロになれた。

私の場合は、自分で自分に悪い言葉を浴びせたけれど、他人から言われることもある。
そんなときは
悪い言葉、マイナスの言葉に対して
「その言葉は私には効きません」って
思ったり言ったりするといいって、どこかの整体師さんのブログにね、書いてあった。

「言葉一つで治りもする」逆に
「言葉一つで治らない」んだって。

治療者に対して、「そんなことしても治らないよ」って家族や友人知人が言ったりすると
治らなくなっちゃうって…。

逆に少しでも、良くなってきたーって喜んでると自然と「治る」って。


これは自分にも当てはまるかもしれない。

だから
言葉を変えてみる。その実践を始めたところです。

自然とマイナスな言葉を思ったり言ったりしてる。
でも、諦めずに
プラスの言葉をたくさん言っていきますよー!

10/15。告白。実は新興宗教に入ってた。そして、今月に辞めた。

私は、とある新興宗教に入っていた。
子供の頃、親に入れられ
「大人になったら絶対辞めてやる」って思ってた。

…なのだけれど、高校生の時にハマってしまった。


中3の時に鬱っぽくなって
同級生のススメでリストカット初めた。
高校の時には不登校になって、
人生に失望していた。絶望していた。

そんな時に、教祖様から
「あなたを信じているよ。あなたの成長を期待しているよ。」って言われて(言われたのは間接的にだけど)、
暗闇に光が差した。
私のことを心配してくれ、期待してくれてる人がいるって、それって
すごくすごくすごく嬉しくて……
当時の私は、教祖様を心から敬愛した。


だから、この人を信じよう。
この人の宗教をやってみようって心から思った。


あの時は、新興宗教に救われたと思う。
周りの人も優しかったから。
温かく迎えてくれた。話を聞いてくれた。
唯一の居場所だった。


今思えば、その場所が新興宗教じゃなかったら
良かったのになって思ってる。
ただのボランティア団体とか?

S団体。ただのボランティア団体だったら
本当に良かったのにな。


周りの人がみんなみんな優しかった。
でもそれが洗脳の始まりだった。
飴と鞭?功徳と罰で洗脳されていった。

教祖様の本もたくさん読んだ。
人々☆レボリューション的なタイトルのフィクションストーリーもみんなで読んで、感想を言い合ったり。
法華経の教えの本も読んで。。。
今思い返せば、法華経の教えをS団体の洗脳のための教えにすり替えている本だった。
レボリューションの本は、教祖様の素晴らしさを時にさり気なく時にあからさまに描き、
どれだけ素晴らしい団体か、そしてこの団体に反したら悪い事起きるよ?っていう洗脳のための本。

あの時は楽しかった。
洗脳されてるなんて知らなかったし。

とても素晴らしい教えだと思い、
とても素晴らしい団体だと思い、
「人類の絶対的な善である団体」だと思ってた。
影や闇なんてない。絶対間違いもない。
本当に本当の素晴らしい団体であり
この団体が大きくなればなるほど、
世界は救われて、正しいだけの善だけの世界
悪いことが絶対に起こらない世界が来るのだと
心の底の底から信じていた。

世界の平和のために!自分と友の幸せのために!
この命はS団体のために捧げます!
それこそが、唯一の幸せの道!!!!

私達は、史上最高の教えを信じ学び
史上最高の団体に所属している!
そしてこの教えは滅多に聞くことが出来ない。
教えを理解できる人は少ない、
実践できる人はもっと少ない、実践し続けられる人はもっともっと少ない。
だからこそ、この教えを信じ理解し、実践し続けている私達は最高に尊い仏の存在なのだ!

そういう妄想に取り憑かれていた。


この妄想に取り憑かれると、人を差別するようになる。
私たちこそは選ばれた人間なのだ!と…。


そして、友人知人に広めなければ功徳はない。

友人や知人に教えなきゃ。
せっかく今世で最高の教えを聞くことが出来たのだから
教えてあげなくては可哀想なのだ。
教え信じるように導かなければ知人や友人が不幸だ。

そう思い、周りにS団体を勧めていく。怖。




もう眠いので、また続き書く。